※長文です。ご興味のある方へ
地元紙で近代化遺産であるレンガ倉庫の保存を求める声との記事があったため再度状況を整理いたしました。
まずは現況から。
1)議会での動き
平成28年能代市議会9月定例会では、議案第64号「土地の取得について」として河畔公園整備事業用地の取得について審議がなされ、取得する土地として面積9,177.48m2、買受額173,454,372円(1m2単価18,900円)相手方・菱大木材株式会社となっており、9月23日の最終日をもって全会一致で可決となりました。
2)河畔公園整備事業とは?
この事業は昭和54年から計画されており、中心市街地の緑地確保や防災機能など都市機能確保のため整備を進めてきた事業です。9月議会に可決された土地取得により、ようやく一体的な整備が完了すると思われていたところ今回の急ブレーキです。
3)レンガ倉庫の現状は
写真にある通り、地元紙の写真では半分取り壊されたとのことでしたが本日10/1に現地を確認すると壁一面のみが残存。
4)秋田県近代化遺産のリストとは
平成4年に秋田県教育委員会が県内の産業的な近代施設に対して遺産として残すべきものをリストアップし調査分析を行なったものです。能代市図書館でも「秋田県の近代化遺産」を閲覧できます。ただし貸出禁止図書なので館内のみ閲覧可能です。
報告書の前文には、当報告書に基づき早期の歴的遺産の保護を求めています。調査対象は「1.近代的手法によって造られた建造物で産業・交通・土木に関わるもの」、「2.江戸時代末期から第二次世界大戦終結時(昭和20年)までに造られたもの。(同じく産業・交通・土木・その他類)とし、調査項目は遺構の沿革や概略図、保存の可能性および問題点などがあり、3次調査まで実施。つまり最終的な3次調査を経ても重要遺構とされたのが今回の旧能代中央木材工場いわゆるレンガ倉庫であります。
参考までにリストアップされた能代周辺のものには天神荘(旧二ツ井町)や発盛精錬所(旧八森町)、秋木鉄鋼(能代市中川原)、五能線第2小入川橋梁(旧八森町)などもありました。
5)報告書での評価(報告書の記事全文)
” 工場 煉瓦造・平屋建・切妻造・鉄板葺 大正10年(1921)頃
大正10年頃、木材業を営んでいた三熊清治氏が建設したと伝え、当初から棟通りで二分されていて、西半を三熊氏が東半を杉本国太郎氏(杉本木材)が使用していたという。現在も棟通りの障壁はそのまま残り、西は菱大木材が東は齊藤氏が使っている。奥行きの長い切妻造妻入り煉瓦造の建物で、桁行方向も二分されていて、大きくは四区画にわかれる。特異なのは屋根で、西流れは積上げた煉瓦の高さにそった勾配であるところから当初形式を残すに対し、東流れは軒位置で一段上げ、勾配をゆるくして室内の高さを確保しており、当然のことながら後世の改変とみてよい。当初から東西で使用者が異なっていたことを反映しているのだろう。大正期の数少ない煉瓦造の建物ではあるが、外壁出入り口・窓を含め改造部分が多いことが惜しまれる。(細見) ”
※細見氏は当時奈良国立文化財研究所建造物研究室長
6)考えられる原因
取り壊しが始まった原因は複数考えられます。特定の誰かを非難するものではなく、全てが合わさって今回の結果になったと考えます。
・議員に建造物の価値を知る者がいなかった、もしくは計画から長い年月が経っていたため、了承済みと思われた。
・市役所当局に建造物の価値を知る者がいなかった
・価値を知りながら建物所有者が声をあげなかった
・価値を知りながらマスコミが報道しなかった
・国や県、市による価値の高い建造物や文化財の連携がなされていなかった
・価値はないという前提であった
7)佐藤個人の見解
貴重な建造物であることは事実です。しかし報告書を見ると他の建造物に比べ頁数の扱いや評価からもそれほど重要視されておらず、過剰に取り扱う必要はないのかもしれません。現状も既に壁一枚となっているため、耐震や維持管理、復元などの費用を考えると保存は消極的にならざる負えないと思われます。
ただ木材の町を支えた記憶として、なんらかの形で残すのがベターであります。具体的には地元紙にもありFBからも助言を頂いたのですが古レンガを歩道に再利用する方法です。レンガは様々な用途に使えるようなので十二分に可能性は広がります。レンガを見て木都を思い出す。ちょっと不思議なストーリーですが逆に忘れにくい思い出になるかもしれません。
追記:報告書には他にも県内の多数の建造物が載っています。ここを巡るツアーなど近代化遺産ファンにはたまらないかもしれませんね!天神荘については当時の議論は分かりませんが、なんだか惜しいものですね。。。